離婚と再婚に関する聖書的真理

離婚が許されるのは、相手に不貞の行為があった場合に限られます。
それ以外の離婚は、罪であります。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。(マタイによる福音書 19章9節)

また、淫らな行ない(不貞の行為)以外の理由で離婚することは、妻に姦淫を犯させることになります。

しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行ない以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。(マタイによる福音書 5章32節)

さらに、離婚は妻に姦淫を犯させる罪であるだけでなく、神の御心に反する罪でもあります。

それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。(マタイによる福音書 19章6節)
こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。(マルコによる福音書 10章9節)

次に、離婚した者に対して聖書が何を命じているかを見ます。
離婚した者には、「元の配偶者と和解するか、再婚せずにいるか」という二つの選択肢しかありません。

次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。
もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。また夫は妻を離別してはいけません。(コリントの信徒への手紙 第一 7章10~11節)

ただし、聖書は「離婚」の場合と「死別」の場合を明確に区別しています。配偶者が亡くなった場合、残された夫は結婚の束縛から完全に解放され、再婚することは聖書によって明確に許可されています。これは姦淫の罪にはあたりません。

妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。(コリントの信徒への手紙第一 7章39節)

夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。(ローマ人への手紙 7章2~3節)

ところが、教会の中には次のような誤った教えが流布することがあります。
「元妻が他の者と再婚した場合、もはや元妻との結婚の束縛から解放され、再婚が可能になる」というものです。

その論理を整理すると、こうなります。

  1. 不貞の行為なく離婚した者は、第一コリント7章11節により「和解するか、独身でいるか」という神の命令に縛られている。
  2. しかし、元の配偶者(元妻)が他の者と再婚した場合、
  3. その再婚は、マタイ5:32や19:9に照らせば「姦淫」にあたる。
  4. したがって、この「姦淫」が生じた時点で、残された側(夫)には「不貞のためでなくて」という例外規定が適用される。
  5. よって、その夫は結婚の束縛から解放され、再婚しても罪ではない。

──という考え方です。

しかし、これは聖書に根拠のない人間的ロジックです。

イエス様が語られた「不貞のためでなく離婚した者」とは、結婚中の行為を指しており、離婚後の出来事を指してはいません。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。(マタイによる福音書 19章9節)

この誤った教えは、「結婚中の不貞」という原因に関する例外を、離婚後の「結果」(元妻の再婚=姦淫)に当てはめてしまう点で、聖書の文脈を無視した曲解です。
イエス様は「不貞を理由として離婚する」ことのみを例外として許されましたが、離婚後に相手が不貞を犯した場合に、さかのぼって離婚を正当化するとは一言も言われていません。

むしろ、聖書が語るのはその逆です。
元妻の再婚(=姦淫)を、自分の解放条件とみなすのは誤りです。
主は、不貞の理由なく離縁した者を、「妻に姦淫を犯させる者」として責任を問われます。

しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行ない以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。(マタイによる福音書 5章32節)

つまり、元妻の姦淫の罪は、あなたを解放するものではなく、あなたの離婚の罪がもたらしたさらなる罪の結果にすぎません。
このような教えは、聖書にない許可を「つけ加える」ものであり、その人間的推論によって結婚の束縛から解放されることはあり得ません。

聖書に「つけ加える者」の末路について、御言葉は明確に警告しています。

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加えるものがあれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(ヨハネの黙示録 22章18~19節)

姦淫の罪は死に値する罪です。
神を恐れ、御言葉に何ひとつ「つけ加えず」、永遠の滅びから守られましょう。

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