特に、異なった福音に気をつけましょう 2025.7.6
Living Water Church (リビング・ウォーターチャーチ)李ダニエル主任牧師 メッセージ
※この記事は動画の要約そのままではなく、動画を見た筆者自身の見解と聖書からの語りかけをまとめたものです。動画と一部内容が異なりますが、動画を見た上で共に学んでいただければ幸いです。
巧妙な罠である「異なった福音」
イエス・キリストを救い主として信じていると告白していても、
罪を温存し、悔い改めていないならば、天の御国に入る保証はありません。
現代において、サタンは「異なった福音」を用いて、多くのクリスチャンを永遠の滅びへと誘っています。
ペテロの手紙 第一 5章7–9節(新改訳第3版)
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべき者を捜し求めながら歩き回っています。
この悪魔に対して堅く信仰に立って立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は、同じような苦しみを通って来ているのです。
サタンは、にせ教師を用いて「異なった福音」を語らせ、真理から人々を引き離しています。
ペテロの手紙 第二 2章1–3節
しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も現れました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。
そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。
また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。
また、「どの宗教でも救われる」と説く多元主義も、異なった福音の一つです。
しかし、聖書は明確に語っています。
ヨハネの福音書 14章6節
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
使徒の働き 4章12節
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。
一度信じたら永遠に救われるという教えの罠
今日、多くの教会が神の裁き、地獄、悔い改めについて語らなくなっています。
「一度信じれば永遠に救われる」という教えは、最も広く受け入れられている異なった福音です。
人は肉の欲に従って、都合の良い教えを好みます。
「罪を犯しても救いは保証されている」「報酬だけが異なる」といった教えは、
耳障りは良いですが、聖書にはそのようなことは一切書かれていません。
もしそれが真実であれば、罪と戦う必要はなく、肉の欲求に従って生きても問題ないことになります。
しかし、聖書ははっきりとこう語っています。
ガラテヤ人への手紙 5章19–21節
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。
前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。コリント人への手紙 第一 6章9–10節
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。
不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。マタイの福音書 7章21–23節
わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣言します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』ヘブル人への手紙 10章26–27節
もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つほかはないのです。
セカンドチャンスという罠
「死んだ後でも救われるチャンスがある」という教えもあります。
セカンドチャンスと言われているものです。しかしそれは虚しい希望です。
ラザロと金持ちの例えで、よみに落ちた金持ちが救われる道はあったでしょうか?
いいえ、ありませんでした。
死後の悔い改めは 手遅れ なのです。
異なった福音を信じた報いは自分自身で罪の結果を刈り取ることになる
罪を犯した結果は、必ず自分自身で刈り取ることになります。
「牧師に騙された」「他の信徒に惑わされた」という言い訳は通用しません。
最終的に罪を犯すことを選んだのは、あなた自身だからです。
悔い改めを拒むなら、誰のせいにもできません。
今こそ、罪を悔い改め、異なった福音から離れ、聖書が語る唯一の道 ― イエス・キリストに立ち返ってください。
主は悔い改める者を決して退けられません。